音楽には毒になるものも、薬になるものもある。例えば詩が悪っぽくて、廃頽的であっても曲は格好良かったりする。ならばリスナーは聞いてしまう。言葉にはパワーがあり、その力で個人、そして個人の累積であるこの世の中に、多少なりとも悪い影響を与える。
逆に、詩の内容が人々に良い影響を与える曲もある。落ち込んだときや調子の悪いときでも、ググッと気分を盛り上げてくれる。こんな曲はちょっと個人、その集まりの世の中を良い方へと持ち上げてくれる。
これは音楽だけに限ったことでもない。映画であれ、小説であれ、TVの番組であれ、クリエイティブで一般の人に影響を与えるものであれば、こういった性質を含んでいる。クリエーターには世の中に与える影響という、ある種の責任が伴っている。
タレントとしてのビートたけしはどちらかといえば、ブラックであるが笑いを振りまいている点で薬である。だが、映画監督としての北野武は毒をばらまいているに過ぎない。最近作った映画が何かのコンペティションで上映され、最後はスタンディングオベーションを受けたと本人は喜んでいたが、フランスなどヨーロッパ系の新聞等では最低の評価だったそうだ。北野映画ファンには申し訳ないが、それが正しいのだろう。
さて、最近のことであるが心臓を痛めたため、今までの仕事が続けられず、一旦、実家に戻ることになった。都落ちである。東京を離れた。実に20年以上ぶりだ。こちらの心臓疾患では実績が一番ある病院を家族やら、親戚やらが勧めてくれるので、そちらの外来へ行く用意をしている。まだ、紹介状が前の病院から届けられていないため、今は時間がある。暇な時は、本を読むか、音楽を聞くか、コンピューターをいじるかである。
音楽は基本、携帯音楽プレーヤーにイヤフォンで聞いている。ところが家族と暮らしていると、声をかけられても気づかないことが多いため、プレーヤーについているちゃっちいスピーカーで流したりすることが増えた。
何を聞くかだ。
今までなら、洋曲だったのだが、最近はk-popである。
特にKARAだ。ほとんどKARAだ。次にSNSD、少女時代。間にcapsuleやPerfume、Chiken Footをはさむ。
では、なぜKARAか。
私は韓国語が分からない。k-popを聞くと、昔に英語の曲を聞いていたときのように、意味が分からず詩も音の一部として聞ける。それと、KARA自身はアイドルであるが曲が良い。曲調も明るい曲が多い。バラードでも暗くなり過ぎない。
ゆえに、毒にも薬にもならない。自分自身が弱っているときに、毒を飲む気にはならない。薬も多用すれば毒となる。適量だとしても副作用が心配だ。
KARAの曲はどちらかといえば、薬に近いが、作用が強力では無い。あえて言うなら、栄養ドリンクか、ビタミン剤のようなもの。弱った心と体には、この程度がちょうどいい。
イヤフォンでじっくり聞くにしても、スピーカーで流して聞くにしても、ちょうどいいのだ。
なかなか現状、聞きたい曲が見つからないのだ。なにか、もっと「薬にも毒にもならない、ビタミン剤レベル」の曲、といってもイージーリスニングなんかのもろにそれを狙ったインスト曲でなく、歌唱曲なんだけど流して聞いて良という曲がもっと多くあってもいいと思う。
SNSDは薬ぎみの曲が多く、capsuleは毒ぎみ、Perfumeは薬か毒か両極端、Chiken Footも両極端かな。
もともとアイドルの曲は聞かなかった人間であった。アーティスト系の曲がメインであった。
アーティスティックというのは毒か薬かの路線になってしまうので、聞くには体力がいるのだ。SNSDは基本アイドルなのだが、流して聞くにはアーティスティック過ぎる。
そういった意味で、韓国のアイドル系アイドルの存在意義は貴重なのだと考え始めた、今日この頃である。